ベトナム戦争当時、米軍はベトナムに大量の枯れ葉剤を散布した。その影響で、様々な奇形児が生まれ社会問題にもなったこともあるが、いつしか忘れ去られてしまった感がある。そんな時、ベトナム枯れ葉剤被害を追うドキュメンタリー映画監督の坂田雅子さんを取り上げた「ひと」欄(しんぶん赤旗2020年9月12日)で、映画「花はどこへいった」の存在を知った。
映画を紹介したホームページ(http://www.cine.co.jp/hana-doko/story.html)に、「あらすじ」があったので紹介しておく。
10代でベトナム戦争に送られたグレッグ(坂田雅子さんの夫)は、帰国後、祖国を捨て、日本でフォト・ジャーナリストとして活動を開始する。戦争の加害者であると同時に被害者ともなり、深く傷ついた心と体を癒すようにベトナムを幾度も訪問していた。彼女(坂田雅子さん)は、グレッグが所属していた米軍基地があるロンタンを皮切りに、ベトナム各地を訪れる。
彼女がベトナムで目にしたのは、ダイオキシンを含む枯葉剤が、ベトナムの人びとと大地を蝕み続けている現実だった。戦後30年を経て、なお世代を越えて、重い障害をもった子どもたちが生まれていたのだ。
ベトナムの主要な産婦人科病院であるホーチミン市の“ツーズー病院”の一角に設けられた“平和村”では、100人以上の障害をもった子どもたちが生活し、アメリカ人の元兵士の提案によってハノイ郊外に建てられた “フレンドシップ・ヴィレッジ”では、枯葉剤の被害者である多くの子どもたちが共同生活を送っていた。
一方、地方の村には、不自由な生活を強いられる、生まれながらの障害を負った子供たちとその家族たちがいた。彼らに、治療、リハビリといった医療を受ける余裕はなかった。たいへんな貧困と困難の中にありながら愛情と深い絆によって結ばれた被害者とその家族たち。
これらの出会いの中から、彼女はこれからを生き続ける力を与えられ、グレッグが彼の仕事を通じて伝えようとしていた、反戦や平和への意思にあらためて気づかされるのだった。(カッコ内の補足と強調は引用者による)
このような現実を知ると、「ベトナム戦争は終わっていない」と、つくづく考えさせらた。『花はどこへいった』という坂田雅子さんの本や中村梧郎さんの『母は枯葉剤を浴びた』、石川文洋さんの『ベトナム 戦争と平和』と言った本の存在も知ったので、近く読んでみたい。ちょうど、化学兵器の散布を受けた状態で死亡している写真を見たばかりだったが、枯葉剤を浴びた人も、こんなだったのかもしれない。
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| (『シリーズ20世期 1 戦争と革命 アサヒグラフ別冊 1995年8月」より) |

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