2020年9月22日火曜日

描くこと書くことは心に掻く(刻む)こと

 書家の石川九楊さんが、「描く」こと、「書く」こと、「掻く(刻む)」ことは同じで、初めは絵も、文字も、鋭利なもので掻いた(刻み込んだ)ものだが、だんだん「描いた」り、「書いた」りするようになった。そんなことを読んだことがある。
 木下晋さんや、東山魁夷さんの描く対象に対する心構え、姿勢というものを知って、描くこと書くことは心に深く「掻く(刻む)こと」ではないか、と思うようになった。それは、求心力で、遠心力による表現とは矛盾する。だからこそ、心に刻むことと表現が渾然一体となって、素晴らしい表現としての作品となる、と。
 こうした作品の製作過程の理解を経て初めて、ゴッホが何故自画像を何枚も描き続けたのか、モネが何故睡蓮の絵を何枚も描き続けたのか、わかった気がした。そして、文章を書くときも、心に刻むような気持ちで書くことが大切なのかも知れないと思った。

黒いフェルト帽の自画像
最後の自画像

《睡蓮》1897‐1898年鹿児島市立美術館
《睡蓮、夕方の効果》1897年マルモッタン・モネ美術館

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