阿刀田さんは、「十歳のときに長岡大空襲に遭い、強いと教えられた日本の軍隊が国を守ってくれないことを思い知らされ」(『わたしの平和と戦争』、集英社、2016年、p63)たという。そうした体験を経て得た「軍備を持つ国から攻め込まれたらどうするのか」の答えは、
私の答えは決まっています。そのときは死ぬんです、とはっきり申し上げております。実は私たちの世代は戦時下の子ども時代、国家のために死ぬんだと教えられました。だから、やれ本土決戦だと竹やりを持つようになると、敵国が攻めてきたら死ぬ覚悟でした。しかし戦争が終わって日本国憲法が施行されたとき、戦争の放棄をうたい軍隊を持たないというのだから、なんと素晴らしい決心だろう、と感動した覚えがあります。
私は、人を殺すくらいならば、自分が死ぬ道を選びたい。特別な倫理ではなく、同じ倫理観の持ち主はきっといるはずです。だから私は命がけで平和を守り、それでも攻撃を受けたら、丸腰で死ぬんだと覚悟を決めています。攻められたら死ぬんです、という覚悟が憲法九条の精神だと思います。私たちはこうした憲法を保持し、培ってきた。だから、戦争しないでやってきたのです。
といっても誰しも死にたくはありません。将来のある若者を死なせたくはない。だから、そういうことにならないように、外交努力はもちろん、ありとあらゆる努力をする、やり尽くすのです。平和を守るには並々ならぬ覚悟がいります。命がけでなくてはならない。それを実行するのが政治です。(上同、p63〜64、強調は引用者による)
といっても誰しも死にたくはありません。将来のある若者を死なせたくはない。だから、そういうことにならないように、外交努力はもちろん、ありとあらゆる努力をする、やり尽くすのです。平和を守るには並々ならぬ覚悟がいります。命がけでなくてはならない。それを実行するのが政治です。(上同、p63〜64、強調は引用者による)
これまでの政府がやってきたことは、専守防衛、専守防衛と、軍事力の拡大に力を注ぐことばかりで、平和的な手法による戦争をしないための努力というものはやられていない。アフガニスタンで活動していた中村さんのような民間人による活動だけだった。
もしも、国を挙げて、平和のためなら、と「外交努力はもちろん、ありとあらゆる努力をする、やり尽くす」ならば、攻め込まれる不安や心配は皆無に近いものになるに違いない。
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