軍事基地周辺で面倒な問題を抱えているのは、なくなったわけではない。今でも、軍用機は飛び交っているし、実弾演習もしている。しかし、私を含め、多くの日本人は、そうした問題と無関係に、あたかもそんな問題はないが如くに生きている。
そして、「核の傘は必要だ」とか「安保条約があったから今日の繁栄がある」などと、平気な顔で、本気になって思い、発言している人が多くいる。日常が非日常になることの恐ろしさを、毎年のように襲ってくる自然災害によって、あるいは、今回の新型コロナ問題で思い知らされた。
しかし、軍事基地周辺周辺の人たちにとっては、「非日常が日常化」してしまったのだ。何度申し入れても、夜間飛行をやめない、という声もある。アメリカ本土では決してしない、ありえない生活圏上空の低空飛行も、なくならない。まさしく「非日常の日常化」である。そうした日常化してしまった非日常というものを想像してほしい。それは、考えようによっては拷問に等しいではないか。
こうして書いているうちに、軍事基地周辺周辺の人たちに申し訳ない、今まで、ほっておいて、申し訳なかった、と思った。そういえば、授業中に軍用機が飛ぶと窓は振動し、授業にならない、と読んだことがあった。しかし、すぐ忘れてしまった。もし、例えば息子が転勤になって孫がその学校に転校になったら、それでも、忘れてしまうだろうか。そんなことはない。やはり、「非日常の日常化」は、あってはならない。
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