2020年8月10日月曜日

軍事的侵略は もはや起こりえない

 三日前に、「攻め込まれたらどうするのか?」という一般的な疑問に対する考えを書いたばかりだが、こうした「問い」そのものが、今ではあり得ないことがわかった。
 確かに昔は、よく言えば帝国主義戦争、悪く言えば侵略戦争がよくあった。だから「攻め込まれたらどうするのか?」という疑問が生じるのも無理はなかった。しかし、一九四五年以降は、戦争は当たり前のことではなくなっており、常識的な先の「問い」は無意味になってしまったのだ。すなわち、

 ごく少数の例外を除けば、世界の国々は一九四五年以降、征服・併合を目的として他国へ侵攻することはなくなった。こうした征服劇は、はるか昔から、政治史においては日常茶飯事だった。大帝国の多くは、征服によって建設されてきたのであり、大半の支配者も人民も、この状況が変わることはないと考えていた。だが今日では、ローマやモンゴル、オスマントルコのもののような征服を目的とした軍事遠征は、もはや世界のどこにおいても起こりえない。一九四五年以降、国連の承認を受けた独立国家が征服されて地図上から消えたことは一度もない。国家間の限定戦争(相手の殲滅を目指すことなく、その目的や、攻略の範囲や目標、手段などに一定の制限を使けた戦争」は、今なおときおり勃発するし、何百万もの人が戦争で命を落としているが、戦争はもう、当たり前の出来事ではない。(サピエンス全史・下 文明の構造と人類の幸福』、ユヴァル・ノア・ハラリ著、河出書房新社、2016年、p207、下線は引用者による

 こうした歴史的事実は、世界史が軍縮を可能にする客観的な保証を指し示している。軍縮は世界史の流れなのであり、日本国憲法は未来を先取りしているといえよう。ということは、辺野古のような新しい軍事基地が必要となる必然性はなくなっていると言える。即刻中止してほしい。

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