写真集より、なんとも痛々しい写真2枚を紹介したが、やはり胸に迫ってくるものがある。こうした実相に背を向け続ける現政権が恥ずかしい。そして同時に、「再び戦争の惨禍が起こることがないようにすることを決意し」と謳った日本国憲法を、改めて誇らしく思えた。
経済大国化し太平の毎日を謳歌している現代日本では、戦争を忘れている人々が多いかもしれないけれど、戦争中日本の圧制に苦しみ日本軍の残虐行為の対象となった思いを忘れない人々が、中国・朝鮮韓国・フィリピン・シンガポール・マライなどのアジア地域にはおおぜいいて、何かにつけてその思いが吹き出すのである。日本国民には、それら諸民族に対する加害責任をとる義務があり、その義務を果たすためにも、加害の事実を知っておく必要があるのである。
同時に日本人は、国内においては、被害者でもあることが多かった。召集されて否応なく戦場にかり出され、あるいは死に、あるいは傷つき、あるいは非人道的行為の実行を余儀なくされた出征軍人たちのほかに、銃後の国民も戦争を体験させられた。近代に入って以後の対外戦争をふり返ると、日清・日露・日独戦争などでは、みな戦場は国外であったから、本土の日本国民は戦場体験をもたないですんだが、15年戦争では本土も戦場となったので、大多数の国民が戦争の惨禍に直面させられた点、それ以前の対外戦争と大きく違っているのである。その意味で日本人のほとんどすべてが被害体験を味わってきたと言ってよいだろう。
しかし、それも、ノド元過ぎれば熱さを忘れるという諺のとおりに、時間がたつと被害の苦痛が忘れられ、上述のように世代の交替によって体験者が逐年減少していくにつれ、忘却はいっそういちじるしくなる。そのような結果に陥るのを防ぐために、戦争の惨禍についての知識が談話・文献・映像などを媒体として後に伝えられていかなければならない。
戦争の惨禍を後に伝えるための媒体としては、まず言語と文章が数えられる。戦争の惨禍の極限的な情況を写真として撮影することは困難、むしろ不可能な場合が多いし、時間的順序を追っての展開のあとをたどるのもむづかしいから、談話や記録という媒体が大きなはたらきをする。
日本人の戦争被害体験のなかで、いちばん酷烈なのが原爆によるそれであることは言うまでもなかろう。原爆の悲惨なことは、単に日本人の被害として想起されねばならないだけでなく、核兵器時代の今日、人類滅亡の危険への注意を喚起するという意味で、全人類的課題であると言ってもよいのである。さきに私たちが多くの原爆記録を集めた『日本の原爆記録』全20巻を世に送ったのは、時間の進行とともに人手のむづかしくなる原爆記録を、今の時点で改めて広く読んでもらいたいと考えたからにほかならない。
しかしながら、上述のように、戦争の惨禍の極限状態の再現と伝達とは、写真では困難で言語文章によるほかしかない場合が多いのはたしかであるが、文字によるそれにも限界があって、映像の一目瞭然たるに及ばないというところのあることもまた事実である。この『ヒロシマナガサキ原爆写真・絵画集成』を刊行するのは、さきの『記録』とあわせて、原爆の恐怖をまのあたり再現するのに不可欠だからであった。(家永三郎著「映像記録の意味するもの」『ヒロシマナガサキ原爆写真・絵画集成 1卷 被爆の実相』[家永三郎他編、日本図書センター、1993年]より、強調は引用者による)
経済大国化し太平の毎日を謳歌している現代日本では、戦争を忘れている人々が多いかもしれないけれど、戦争中日本の圧制に苦しみ日本軍の残虐行為の対象となった思いを忘れない人々が、中国・朝鮮韓国・フィリピン・シンガポール・マライなどのアジア地域にはおおぜいいて、何かにつけてその思いが吹き出すのである。日本国民には、それら諸民族に対する加害責任をとる義務があり、その義務を果たすためにも、加害の事実を知っておく必要があるのである。
同時に日本人は、国内においては、被害者でもあることが多かった。召集されて否応なく戦場にかり出され、あるいは死に、あるいは傷つき、あるいは非人道的行為の実行を余儀なくされた出征軍人たちのほかに、銃後の国民も戦争を体験させられた。近代に入って以後の対外戦争をふり返ると、日清・日露・日独戦争などでは、みな戦場は国外であったから、本土の日本国民は戦場体験をもたないですんだが、15年戦争では本土も戦場となったので、大多数の国民が戦争の惨禍に直面させられた点、それ以前の対外戦争と大きく違っているのである。その意味で日本人のほとんどすべてが被害体験を味わってきたと言ってよいだろう。
しかし、それも、ノド元過ぎれば熱さを忘れるという諺のとおりに、時間がたつと被害の苦痛が忘れられ、上述のように世代の交替によって体験者が逐年減少していくにつれ、忘却はいっそういちじるしくなる。そのような結果に陥るのを防ぐために、戦争の惨禍についての知識が談話・文献・映像などを媒体として後に伝えられていかなければならない。
戦争の惨禍を後に伝えるための媒体としては、まず言語と文章が数えられる。戦争の惨禍の極限的な情況を写真として撮影することは困難、むしろ不可能な場合が多いし、時間的順序を追っての展開のあとをたどるのもむづかしいから、談話や記録という媒体が大きなはたらきをする。
日本人の戦争被害体験のなかで、いちばん酷烈なのが原爆によるそれであることは言うまでもなかろう。原爆の悲惨なことは、単に日本人の被害として想起されねばならないだけでなく、核兵器時代の今日、人類滅亡の危険への注意を喚起するという意味で、全人類的課題であると言ってもよいのである。さきに私たちが多くの原爆記録を集めた『日本の原爆記録』全20巻を世に送ったのは、時間の進行とともに人手のむづかしくなる原爆記録を、今の時点で改めて広く読んでもらいたいと考えたからにほかならない。
しかしながら、上述のように、戦争の惨禍の極限状態の再現と伝達とは、写真では困難で言語文章によるほかしかない場合が多いのはたしかであるが、文字によるそれにも限界があって、映像の一目瞭然たるに及ばないというところのあることもまた事実である。この『ヒロシマナガサキ原爆写真・絵画集成』を刊行するのは、さきの『記録』とあわせて、原爆の恐怖をまのあたり再現するのに不可欠だからであった。(家永三郎著「映像記録の意味するもの」『ヒロシマナガサキ原爆写真・絵画集成 1卷 被爆の実相』[家永三郎他編、日本図書センター、1993年]より、強調は引用者による)
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| なく元気もない乳飲み子と医師を探す父親。長崎付近。8月10日午後2時頃 |
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| 町からリヤカーで、やっと道ノ尾まできた少年。身体を火傷している |


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