あれから何十年、今も演習は続いている。写真で紹介した自衛隊のロケット砲でわかるように、威力は何十倍も上がっているであろう。
今年の5月23日、「コロナ禍報道のただ中で陸上自衛隊の実弾演習が行われ、弾薬だけでも3億6000万円、19トンを使用したと報じられ」(『世界』、2020年8月号、p41)たという。なんという無駄だ。
しゃげき場
愛知県二川町二川北部小学校五年
後藤祥子
えんどうと美しい花で知られている
私たちの渥美半島、
その渥美半島に、
「しゃげき場ができそう。」
中山の子たちが知らせてきた。
私たちの学校近くの高山かいたくちも
きょ年、よび隊のしゃげき場になった。
けさも、ドンドーンと音がきこえる。
「もう戦争はしない。」ときめたのに、
あっちにも
こっちにも、しゃげき場ができる。
私たちの田や畑をつぶすのはいやだ。 (p220)
砲弾の下の村
山形県戸沢村小学校五年
中里千代子
ドカーン、タタタタ・ダダダ…と、きょうもまた、しゃげきのれんしゅうがはじまりました。大ほうのたまが、いやな音をたててとんできます。そして、うちのすぐうらの松倉山で、バリバリと耳がさけるような音をたてて、はれつします。
「ほら、てぇへんだ。」
「みんな、家さ、かぐれろ。」
と大声あげて、おとなの人たちが、はたけの方からにげてきました。
「ああ、いまがいつばん、でえじな、うえつけどきだでばのう。」
かげにかくれて、うらめしそうに、たまのとんでくる方をにらみつけました。
「こげ、まい日、ドカンドカンやられるど、しごとなど、とんと、できねえぜ。」
うらの星野のおじさんがいいました。星野の家の人たちは、戦争の終った年、東京から六百キロの遠い道をあるいて、この村へきた人です。おもい荷をつんだリヤカーをおして、ひと月もかかって、この開拓団にはいりました。ほかの人もみんな、戦災者や引揚者ばかりです。
「五年もあせ水たらして、ひらいた土地だども、たまの雨ふってけば、畑もなにもできねえぜ。」
また音がして、家がビリビリふるえました。ぱらぱらと、たまの破片や土のこながとんできました。
「あぶねえぞ。」
「せをひくくせえ。」
みんな、どっと、地面にはいました。
そのとき、うらの山がバリバリ音をたてて、もえはじめました。
「山火事だ。」みんな顔いろをかえました。たまがとんでくるので、火を消しにいけません。火はだんだんひろがっていきました。
私は、きょねんの今じぶん、たまにあたって死んださち子姉さんのことを、おもいだしました。たまの音と山火事の音のなかから、千代子、千代子と、私の名をよんでいる姉さんの声が、きこえてくるような気がしました。
そのとき、「姉ちゃん、おっかねえ。」と、おとなりへあそびにいっていた三つの弟が、にげてきました。私は弟をだきよせて、じっと息をとろして、たまのやむのをまっていました。
「アメリカの兵隊さんがた、どこか人のいねえどこさ、えって、れんしゅうしてくれねえがのう。」
私は、心の中で、いいました。(p255~257)
しゃげき場
愛知県二川町二川北部小学校五年
後藤祥子
えんどうと美しい花で知られている
私たちの渥美半島、
その渥美半島に、
「しゃげき場ができそう。」
中山の子たちが知らせてきた。
私たちの学校近くの高山かいたくちも
きょ年、よび隊のしゃげき場になった。
けさも、ドンドーンと音がきこえる。
「もう戦争はしない。」ときめたのに、
あっちにも
こっちにも、しゃげき場ができる。
私たちの田や畑をつぶすのはいやだ。 (p220)
砲弾の下の村
山形県戸沢村小学校五年
中里千代子
ドカーン、タタタタ・ダダダ…と、きょうもまた、しゃげきのれんしゅうがはじまりました。大ほうのたまが、いやな音をたててとんできます。そして、うちのすぐうらの松倉山で、バリバリと耳がさけるような音をたてて、はれつします。
「ほら、てぇへんだ。」
「みんな、家さ、かぐれろ。」
と大声あげて、おとなの人たちが、はたけの方からにげてきました。
「ああ、いまがいつばん、でえじな、うえつけどきだでばのう。」
かげにかくれて、うらめしそうに、たまのとんでくる方をにらみつけました。
「こげ、まい日、ドカンドカンやられるど、しごとなど、とんと、できねえぜ。」
うらの星野のおじさんがいいました。星野の家の人たちは、戦争の終った年、東京から六百キロの遠い道をあるいて、この村へきた人です。おもい荷をつんだリヤカーをおして、ひと月もかかって、この開拓団にはいりました。ほかの人もみんな、戦災者や引揚者ばかりです。
「五年もあせ水たらして、ひらいた土地だども、たまの雨ふってけば、畑もなにもできねえぜ。」
また音がして、家がビリビリふるえました。ぱらぱらと、たまの破片や土のこながとんできました。
「あぶねえぞ。」
「せをひくくせえ。」
みんな、どっと、地面にはいました。
そのとき、うらの山がバリバリ音をたてて、もえはじめました。
「山火事だ。」みんな顔いろをかえました。たまがとんでくるので、火を消しにいけません。火はだんだんひろがっていきました。
私は、きょねんの今じぶん、たまにあたって死んださち子姉さんのことを、おもいだしました。たまの音と山火事の音のなかから、千代子、千代子と、私の名をよんでいる姉さんの声が、きこえてくるような気がしました。
そのとき、「姉ちゃん、おっかねえ。」と、おとなりへあそびにいっていた三つの弟が、にげてきました。私は弟をだきよせて、じっと息をとろして、たまのやむのをまっていました。
「アメリカの兵隊さんがた、どこか人のいねえどこさ、えって、れんしゅうしてくれねえがのう。」
私は、心の中で、いいました。(p255~257)
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| 「『日本の基地 1 写真・絵画集成 沖縄の基地』 (林茂夫編、日本図書センター、2002年)」より |
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| (上同) |


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