「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」--ここがどうやら前文の眼目。
政府が戦争をひきおこし、惨禍を招いた、政府とはそういうものだというこの図星の一節が現政府には目障りで、抹消したくて仕方がないにちがいないと見当がつく。
政府がまたまた戦争をひきおこさないように、「主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定」した。国家や公務員を不用意に、「お上(かみ)」と口にする東アジア的な政治意識を超えて、国家を国民よりも下位にある「下下」(しもじも)「お下」(おしも)とする思想。それが西欧民主主義、日本国憲法の思想である。
朝礼で、社員そろって社是を斉唱する企業がある。これに倣って、国会の開会時と閣議の前には全員起立して必ず憲法前文を斉唱することにしてはどうか。いやすべきだろう。議員や公務員が「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうに……」の文言を諳じるようになれば、軽々しく憲法改悪を口にする政府は生まれないだろう。今からでも遅くない。憲法第九十九条に「公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」とあるのだから。天眼鏡で覗きこめば、歴史が社会がそして希望の青空が見える。(「日本国憲法」『石川九楊著作集別巻3』、ミネルヴァ書房、p606〜607)
「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」ことが前文の眼目で、「主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定」したというのも,わかりやすくて、なかなか良かった。しかし、辺野古への政府の対応に特徴的な、強権的な政治が今だに幅をきたしているのは、まだまだ「東アジア的な政治意識」が抜けきらないから七日もpしれない、と思ってしまった。
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