日本国憲法の新しい解釈を発見しました。日本国憲法は、「あらゆる力と手段とをあげて平和的進歩にささげること」を求めていたのです。しかし政府は、こうした努力を軽視し、抑止力理論一辺倒でここまできたし、これからもその方向です。国民はこの間違いに、今こそ気づくべきです。新解釈のヒントになった文章は和辻哲郎氏の次の文章です。
われわれは新らしい憲法の前文において、人間関係を支配する高い理想の「自覚」と、平和を愛する世界の諸国民の公正と信義とに対する信頼の「決意」とを、宣言した。この宣言は、組織された「一つの世界」を前提としている、と云ってよい。世界のあらゆる国民(原文は傍点)が平和的に協働するということ、そういう諸国民によって作られた国際社会(原文は傍点)が、ただに平和を維持しようと努力するのみならず、専制と隷従、圧迫と偏狭などを地上から永久に追い払おう(原文は傍点)と努めているということなどは、同じ前文が明かに認めているところである。そういう国際社会の成立を現実の世界情勢と認めた上で、われわれは右のような自覚や決意に到達したのであった。(「我々の立場」『読本憲法の100年・3』、作品社、p177)
この宣言は、「一つの世界」、つまり、「世界のあらゆる国民が平和的に協働するということ、そういう諸国民によって作られた国際社会」を前提としている、というけれど、それは違う、と思ったのです。前文で「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」とありますが、”名誉ある地位を占めたい”ということは、「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しよう」と、率先して取り組もうということだったのです。だから、マッカーサーの言うように日本国憲法の「この理念の健全さを実証し、あらゆる力と手段とをあげて平和的進歩にささげることによって、測りしれぬ利益がもたらされることを、人類の前に実証する機会はまったく諸君のもの」(「「年頭の辞」「朝日新聞」一九五〇・一・一、つまり、私たちのものだったのです。そうすれば、「そのうちには他の諸国も諸君と力を合わせてこの理想の実現に努めるようになるだろう」(上同)と言うのです。
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