松川事件では、共産党員が犯人にされたことで有名です。当時、下山事件や三鷹事件などの怪事件が続き、共産党犯人説が新聞にたびたび報道されました。共産党員が犯人とされた冤罪事件は、まだあったのです。たとえば菅生事件です。
警察官や検察官の多数が、グル(原文は傍点)になって、自分たちの陣営の商売繁昌のために、罪なき共産党員をワナ(原文は傍点)にかけて召し取り、ニセの証拠を作って犯罪の形を作り、裁判官をダマして有罪にし、世間をアザムコウとした大陰謀事件 ―― それが萱事件だったのだ。(「あばかれた菅生事件の陰謀」『正木ひろし : 事件・信念・自伝』、正木ひろし著、日本図書センター、1999年、p30)
陰謀は、これだけでありませんでした。さらに続くのです。ちょっと長くなりますが引用します。
昭和二十七年は、この破防法案が、国会を通過するか、あるいは永久に通らないか、あやぶまれた年であった。
ところが不思議なことに、その年の二月ごろから七月までの間に、急に日本の各地で、日本共産党員と称するものによる火焔ビン事件や、ダイナマイト事件というものが、おこったのである。
それらの実態は、このごろになって調べてみると、ほとんだタワイもない事件であったが、新聞にはデカデカと掲載されたので、当時、難航をつづけていた破防法を制定させるためにはこの上ない有力な資料(口実)となったのだった。
あるいは、それらの事件の大部分が、菅生事件と同性質のインチキ事件ではなかったろうかという気もする。
しかし、新聞の報道だけで、その真相を究明できない国民にとって、日共はいつしか”愛される共産党でなく、”いやがられる共産党”となり下がってしまったのである。
かくて、破防法は、その年の七月二十一日に、マンマと国会を通過、制定されたのである。(上同、p 35〜36、下線は引用者)
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