2024年2月12日月曜日

日本の古典文学開眼

 放送大学のテキスト『日本文学の名作を読む』(島内裕子著)を読んでいて、『徒然草』が人生を洞察した書であることを知りました。『徒然草』の新しい試みは「簡潔な文章の中に、人生の深淵を垣間見せ、『人生、いかに生きるべきか』という難問への道標となった点にある、と私は考える。まさに、そのような段の一例として第二百十一段の全文を掲げよう」と言って、第二百十一段の紹介がありました。その中に寛容の精神が描かれていて、『徒然草』にすっかり惹かれてしまいました。まさに日本の古典文学開眼かもしれません。
 例えば、心というものを「緩くして、柔らかなる時は、一毛も損せず」と言い切っているのです。その辺のところの現代語訳を紹介します。

 人間の心というものは、ゆったりとひろければ、それをさまたげられることはない。気くばりが少なくて、しかもきびしいばかりだと、なにかと人にさからって、あらそい傷つくことが多い。心がおおらかで、柔軟に事を処理するときは、毛筋一本もそこなうことがない。
 人間は、天地のあいだにあるものでもっとも尊い存在である。そして天地は大きなものである。とすると、天地の中で、もっとも尊い存在である人間の本性も、その天地の心と一致しなければならない。
 人間が寛容で、心にせまいわくをつくらないときは、喜びもいかりも、その本性のじゃまにはならず、他人のためにわずらわされることはないのである。(『21世紀によむ日本の古典_9_方丈記・徒然草』、浜野卓也著、ポプラ社、2001年、p164〜165)

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