神仏習合の世界
神仏習合というのがあることは知っていました。もともと日本古来の神道は心が広く、異教であった仏教を受け入れていたのです。問題は、この期間はどのくらい続いたのか、です。私の予想では、この期間は平和な日本が続いたのではないか、そう予想しましたが、実際はどうなのでしょうか。
ちょっと調べてみたら、神道を国教化することが目的で、1868年(明治元)に神仏分離令が出され、排仏毀釈という仏教を排斥しようとする政策や行動があったようです。つい最近まで、神仏習合だったようです。実際のところは、文献にあたってもっと詳しみみてみたいと思います。 神仏習合の世界
神道と仏教、神社と寺院が明確に区別されるのは近代以後のことで、中世の人々は神と私とを混然一体として信仰していました。
神仏習合とは、仏教が広まる中で、わが国固有の神々と仏に対する信仰が混ざり合った祈りの形をいい、古代から中世にかけて、さまざまな宗教美術があらわれました。
銅製や木製の円盤に仏の姿をあらわした懸仏(かけぼとけ)は、古くは御正体(みしょうたい)とも呼ばれ、寺社の堂内等に懸けて祀られました。神聖な鏡に仏の姿が現れるという神仏習合の遺品といえます。
福島市の信夫山では、奉納された和鏡とともに密教法具(みっきょうほうぐ)などが出土しており、古くから神仏を祀る霊場であったことが分かります。
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| 木製の円盤に仏の姿をあらわした懸仏 |
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| 神社に祀られていた十一面観音菩薩立像 |
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