2024年1月30日火曜日

余韻(余白)は天衣無縫である?

 若松英輔著「画家の原点~中川一政『画にもかけない』」(『日本経済新聞』、2024年1月27日)を読んで、中川一政の存在を知りました。『画にもかけない』は九十一歳の時に出版されたと知って、余計に興味が湧いたのです。
 国会図書館ですぐに読めるものを探してパラパラ読みました。そして、勉強と余韻という含蓄のある小文を見つけました。
 勉强は、手段に力を入れすぎて目的を忘れてはいけないよ、という戒めの言葉です。文法書をいくら勉強しても、英文を読めなくては意味がないのと同じだと思いました。
 余韻は、余白を重視する東洋の芸術の特徴を言ったものですが、「余韻は天衣無縫である」というのは初耳です。重要なことを言っているようですが、まだ理解しきれていません。
 図書館に『中川一政全文集』が第1巻から揃っているので、どんなものか読んで見るつもりです。興味津々です。
    勉强
 或る人が勉強ばかりしていた。すると先生が来てこう言った。
「君は勉強の為に勉强しているのか」
 恐らくその男はこう言う先生がなかったら、一生涯その勉強方法をつづけていただろう。
 若し諸君。諸君のうちにそういう人がいたら、勉强を役立てる事を考へて勉強したまへ。
 例へば飛行機を作るなら飛べる様な飛行機を作り給へ、それは当たり前じゃないかというか。
 実は僕は飛行機作りなのだが毎日飛行機をいじってばかりやっていて、飛ぶ爲に飛行機を作つているという事を忘れてしまったのサ。(『中川一政画集』、中川一政画、アトリヱ社、1926年、p13〜14)

    余韻
 余韻は画の第一義である。
 余韻は天衣無縫である。
   ① 詩歌などにわざとらしさがなく自然に作られていて,しかも美しいこと。
 ロダンの彫刻はあまり上手に作ったから余韻がない。
 大雅は「画は一物もなき處最も爲し難し」と言った。
 余韻を第一とした東洋の画家は省略法を採った。
 東洋の人は西洋の人の画を見て、
「過ぎたるは及ばざるが如し」と思うのである。(『中川一政画集』、中川一政画、アトリヱ社、1926年、p21)

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