2023年2月24日金曜日

産軍複合体の本質

 産軍複合体については、これまで「産軍複合体という怪物」や「国費を食いものにする産軍複合体」で取り上げたことがある。ここでは、これこそ「産軍複合体の本質」ではないか、と思われる指摘を取り上げてみる。それは、「軍事技術や軍産複合体に社会全体が振り回されてしまった国々」と次のように書かれていたことである。「軍産複合体は社会全体を振り回す」という指摘は、産軍複合体の本質を言い表していると思ったのだ。

 アメリカやソ連の建材が不如意なのは、両国とも軍事経済体制を取っているからだと考える人々がいる。非軍事経済に移行するための音頭は日本が取るべきだとまで期待する人もいる。また、長い日本の歴史から教訓を取ることが出来ると考える人は多い。(故オルフ・パルメ氏もその一人であった)。
 それは、平和憲法を基にした第二次世界大戦後の日本の歩みを積極的に評価している人も多くいるということである。更に、この四十年の歩みが、実は、もっと長期的にみた日本的あるいは東洋的な伝統の一環だと考える人もいる。その例として良く引かれるのが、徳川幕府による鉄砲「廃棄」(詳しくは、ノエル・ペリン著の『鉄砲を捨てた日本人』―ー邦訳は紀伊国屋書店刊――参照)であり、あるいは、中国における火薬やロケットなどの発明がそのまま膨大な兵器体系に結び付かなかったこと等である。これが、技術一般、特に軍事技術を考えるに当って、人間や社会の側に主導権があり、人間がコントロール出来るのだという好例として紹介される。軍事技術や軍産複合体に社会全体が振り回されてしまった国々の真似をするのではなく、より人間的な目的に沿って技術を利用し経済を動かしてきた国の経験こそ貴重だというのが、こうした人々の考え方である。
 こう考えてくると、日本という平和国家が抱いている理想像、それを達成するために日本が創り出してきた諸制度やノウハウを世界に分って貰える形で提示して行くことこそ、今、日本が世界に対して出来る最大の貢献かも知れない。(秋葉忠利タフツ大学助教授[数学]著「日本の理想を示す時」『世界』、1986年7月、p23)

  ここで、軍産複合体が登場してきたのには意外だったが、数学者として、外野から社会を見たこともあり、社会の本質がよく見えたのかもしれない。秋葉忠利氏には『数学書として憲法を読む』や『報復ではなく和解を』といった著書もあることがわかり、その内容にとても興味を覚えた。また楽しみが増えた。

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