2023年2月26日日曜日

いかに生かされているか

 雑誌『群像』(2020年10月号)の書評欄で、白川静の『中国古代の民俗』(講談社)が取り上げられていた。著者は作家の宮城谷昌光さんで「三省堂にはいってみつけたのが、この本である。わずかにひらいて一読しただけで、私の想像力はすさまじい力を得た。私はこのエネルギーに満ちた本を掴んだまま、これで小説が書ける、と実感した」(p182)と書かれていた。
 漢字の専門家である白川静の名前は知って言いたし、彼の仕事を評価する声も何度か耳にしたことがあった。新聞の書評欄も好きでよく読む。しかし、「このエネルギーに満ちた本」といった表現の書評は初めてだ。それだけに、この一言で、この本と、その著者に大いなる興味を抱いてしまった。
 批評家若松英輔さんが取り上げた本は『エックハルト説教集』(岩波書店)だった。この書評で、若松英輔さんが若い頃心を病んだことがあることを初めて知った。この本は「当時の私にとっては文字通りの意味で精神に革命を起こした一冊だった」と次のように書かれていた。

 この人物は、あまりの霊性の深さに周囲からはマイスター・エックハルトと呼ばれていた。「偉大な霊性の師」だというのである。生において最も重要なのは内界に余白を生み、神の働く場を作ることである。祈るとは、神に何かを願うことではなく、沈黙の声による神の声を受け止めることにほかならない。いかに生きるかではなく、いかに生かされているかを発見しなくてはならない、とエックハルトはいう。自分でどうにかしなくてはならないと思い込んでいた当時の私にとっては文字通りの意味で精神に革命を起こした一冊だった。しばらくして私は「書く」という営みを身に付けつつ、少しずつ癒えていったのである。『群像』、2020年10月号、p186)

 エックハルトの説く「いかに生きるかではなく、いかに生かされているかを発見しなくてはならない」ということは、無神論者の私にも興味のある言葉である。すぐには理解できないが(頭で理解することではないのかもしれないが)、心に留めておき、自らの新たな問い”にしたいと思う。

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