2021年9月6日月曜日

侵略の血でよごれた国歌

 東京五輪に続いてパラリンピックも終わった。多くの国民は、何の疑いもなく、会場で歌われた日本の国歌も聞いたであろう。しかし、 その日本の国歌は「侵略の血でよごれ/腹黒の過去を隠し」もっている。そのことを、最近知った「鄙(ひな)ぶりの唄」は、よく表現している。

鄙(ひな)ぶりの唄

なぜ国歌など 
ものものしくうたう必要がありましょう
おおかたは侵略の血でよごれ
腹黒の過去を隠しもちながら
口を拭って起立して
直立不動でうたわなければならないか
聞かなければならないか
   私は立だない 坐っています(茨木のり子詩集『倚りかからず』筑摩書房)
「鄙ぶりの唄」誕生にまつわるエピソードを甥にあたる宮崎治さんが次のように紹介している。印象的な話である。
 当時交際中だった妻と、叔母と私と3人でボストンポップスオーケストラのコンサートを渋谷のNHKホールに聴きに行ったことがある。
 オーケストラはコンサートのオープニングに「君が代」と「アメリカ国歌」を演奏した。演奏が始まると客席の聴衆は慌ただしく起立し始めた。そのとき叔母は「私は立たないわ、あなたたちは好きにしなさい」と言って座っていた。私も妻も叔母と同じく座ったまま演奏を聴いたのだが、その時の光景は強く私たちの印象に残っている。(「叔母の食卓」『茨木のり子・文藝別冊』、河出書房新社、2016年、p31)



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