武田砂鉄さんの『暮しの手帖』コラム「今日拾った言葉たち」は好きでよく読み、何度もここで紹介した。今回は、「傷を隠すことと歴史を忘れることは通底している。隠すのではなく、受け止めることから始まった」(『暮しの手帖』、No.98、p140)という言葉を紹介する。メモ帳にこの言葉を見つけ、傷は手当てで癒すことができるように、負の歴史を癒すことができるとすれば、どのような手当があるのだろう、と考えてしまった。
体の傷にしろ、心の傷にしろ、その正体を突き止めることで初めて、その手当てもできる。歴史も同じように、その正体を突き止めることであろう。つまり、朝鮮や中国にしてきたこと、その他のアジア諸国にしてきたことの真実を見極めることができれば、その過程を通して、次に何が必要かも、自ずと見えてくるに違いない。
そうではなく、歴史を忘れてしまったら、決して忘れることができない人たちとの溝は、決して埋まることはない。そこに平和的な友好など成立しないことは明らかだ。真の平和の達成のためには歴史の真実を受け止め、その真実の姿を明らかにしなくてはいけない。そして初めて、負の歴史も癒されるというものである。
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