気になっていた本、『殺す側の論理』(本多勝一著、朝日新聞社、1984年)に、一枚の写真の解説があった。なんとも生々しい描写だと思ったら、その解説は、『ソンミ : ミライ第4地区における虐殺とその波紋』(セイムア・ハーシュ著 、小田実訳、草思社、1970)からの引用だった。著者セイムア・ハーシュは、「フリーランスの記者としてのデビューは1969年、ベトナム戦争中のウィリアム・カリー中尉によるソンミ村虐殺事件の暴露であった。当時『ディスパッチ・ニュース・サービス』という小さな個人通信社の記者であった彼は、借金をしながら証言者を求め全米を廻って記事を書いた。『ザ・ニューヨーカー』に掲載されたこの記事で、1970年度ピューリッツァー賞を受賞」という経歴だった。
そのカラー写真の一枚は、 中央に五〇歳前後の婦人が、怒りと悲憤と絶望とを同時にあらわした表情で立ち、その右側には、赤ん坊を片手に抱いた二〇歳前後の若妻が、ブラウスの前フックを閉じようとしている。周辺には恐怖におののいてすがりつく子供たち。この写真がとられた直後、この女子供たちは自動小銃で皆殺しにされた。この、見てきたような生々しい描写を読んで、よく、アウシュヴィッツ収容所や南京大虐殺といった大虐殺というものが問題視されるが、虐殺の規模が問題ではない、「殺す側の論理」が貫かれている殺害は、等しく戦争犯罪として裁かれるべきものではないか、と思った。
この、ブラウスのフックをかけようとしている若妻は、米兵たちに「ベトコンの売春婦」とからかわれながら、乳房にいたずらされそうになり、ブラウスをまくりあげられたところだった。五〇歳前後の怒りと悲憤の婦人は、たぶんその母親であろう。娘へのあまりの仕打ちに抗議して、たちまち米兵に銃尻で殴られ、蹴とばされたのだ。子供たちが彼女に必死でしがみつ い た。「あいつらをどうしよう」とだれかがいうと、答えは「やっちまえ」だった。自動小銃の連続射撃。小さな子供一人だけが、なぎ倒された女子供たちの間に生き残った。だれかが、これも狙いうちにした。(『殺す側の論理』、p9〜10)
同時に、まだ曖昧ではあるが、「辺野古の米軍基地建設強行の論理」や「日本学術会議会員任命拒否の論理」も、「殺す側の論理」と似た論理として考えることができるのではないか、と思った。これから考えてみたいことである。
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