2021年9月23日木曜日

呆れた改憲論

  本を読みたいと思うとき、その内容は、書評などがなければ書名で推測して読み始めることも多い。『そうか。憲法とはこういうものだったのか』(三浦朱門著、海竜社、2006年)も、なんとなく優しく分かりやすい憲法の解説書であろうと予測して読み始めた。目次の中に「実情にそぐわない空文化した憲法条項」というのがあったので、そこから読み始めた。そして初めて、推測が外れて、何のことはない。改憲論の本だった。例えばこんな論調である。

 たとえば有名な第九条は、文字通りにとれば、国際紛争を解決する手段としての国家の暴力機構は持たない、ということである。憲法の前文にも「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決心した」とある。 

 つまりわれわれは自国と自国民の安全と生存を、自分の国家の手によって実行するのではなく、周辺諸国の公正と信義に依存するというのである。 

 もっとも「諸国」には「平和を愛する」という限定がなされているが、「平和を愛する諸国民が存在する」などと言う日本人がいたら、それはよほど、オメデタイ人である。日本に対する場合を除いてもよい、一つの国家が他の国に公正であり、信義を貫いた例などあったら教えてほしい。「平和を愛する諸国民が存在する」などと言う日本人がいたら、それはよほど、オメデタイ人である。(『そうか。憲法とはこういうものだったのか』、三浦朱門著、海竜社、2006年、p207〜208)

 三浦氏によれば、「平和を愛する諸国民が存在する」と思っている私たちは、「よほど、オメデタイ人」になるらしい。呆れた改憲論である。逆に言いたい、平和を望まない人がいるのだろうか? と。そう考えると、改憲論者のいうことが如何に説得力に欠けるかがわかる。

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