ルオー(画家の名前)という詩を知って、ルオーに興味を持って調べてみた。そして、興味のある人生を歩んできたことを知った。何よりも、「社会の底辺の人々の悲哀や社会の矛盾への憤りを主題とする独自の画風を切り開」いたというところが気に入った。また、「様々な手法で聖なる絵画に挑み続けた」というあくなき探究心にも興味が持てた。計算するとルオーは87歳と、90歳近くまで長生きしている。昨日、<葛飾北斎のような強烈とも言える創作意欲が大脳の活性を持続させ、寿命を引き延している>という私の仮説を書いたが、ルオーも、私の仮説を証明しているように思えた。このようなルオーの経歴を知って改めて彼の作品を見ると、作品が醸し出す雰囲気(?)が直接感情に伝わっってくるような味わいもわかるようになった。そして、「聖顔」について「見るものの目を惹きつける離しません」という解説も納得できた。 ジョルジュ・ルオー(1871-1958)は、パリの下町で生まれ、14歳でステンドグラス職人に徒弟奉公に出ますが、画家を志して19歳で国立美術学校に入学。象徴主義のギュスターヴ・モローの薫陶をうけます。
モローが1898年に死去したのちは、精神的な苦難の時期を迎えますが、カトリシズムを支えに乗り越えます。1902年頃より社会の底辺の人々の悲哀や社会の矛盾への憤りを主題とする独自の画風を切り開きました。
その後、作品は次第にキリスト教信仰に根ざした穏やかなものとなり、晩年には絵の具を厚く塗り重ねた独特の油彩表現によって、慈愛や静謐さをたたえた人物像や風景画を多く描きました。
20世紀最大の宗教画家とも呼ばれ、死去に際してはフランス政府による国葬が執り行われました。(「愛の画家 ジョルジュ・ルオー」より)
ルオーは生涯にわたって聖なる顔、「聖顔」を描き続け、その数は60点以上にものぼります。なぜ同じテーマの絵を描いたのでしょうか
ルオーはキリスト以外にも様々な宗教画を描いています。戦争の悲惨さと、キリストを十字架にかけた人間の愚かさを描いた銅版画、多彩な色使いで描いた人々と触れ合うキリストの姿、穏やかな日常の中に、ある種の理想の社会を思い描いたとされています。
晩年には画面が盛り上がるほど、絵の具を幾重にも塗り重ねました。なぜルオーは、様々な手法で聖なる絵画に挑み続けたのでしょうか。絵画を通じて魂の救済を求めたルオー、その生涯に迫ります。(「
ジョルジュ・ルオー聖顔に込められた魂の救済@日曜美術館 」より)
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| 「ヴェロニカ」 |
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| 「聖顔」
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ルオー
強い線が
少しも厭らしくはない
あなたの描いた基督なら
部屋にあっても邪魔にはならず
むしろ鎮静させてくれるだろう
絵を見てゆきながら
題名にも目が走り
黒いピエロ
親代々の旅芸人
世はさまざまなれど荒地に種蒔くは美しき仕事
小さな村へ
(中略)
明日は晴れるだろう 難破した者はそう言った
心高貴なれば首こわばらず
辻々に売春の灯がともる
題名をばらばらに呟けば それすらも
詩よりもはるかに詩になっている
参ったなァ
久しぶりに
そう四十年ぶりに再会した
ルオーの自画像の
形のいいおでこよ!(『食卓に珈琲の匂い流れ』、茨木のり子著、花神社、1992年)
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