これまで人類の歴史は、戦争が人間を狂わせ、残虐なことを繰り返してきた。アウシュヴィッツ収容所でのユダヤ人虐殺、日本軍による南京虐殺、ベトナム戦争での枯葉剤散布、と上げていけばキリがない。さまざまなルポを描いて来たジャーナリストの本田勝一さんによれば、中国で中国人にして来た日本軍と、ベトナムでベトナム人にして来た米軍はよく似ていて「侵略する側には本質的に共通の部分がある」(『赤旗日曜版』。2021年9月26日号)という。このことを知って、単に戦争の悲惨さの実態を知るだけでは不十分で、悲惨な実態にならざるを得なかった要因というか、本質的な部分まで掘り下げた認識レベルまで認識を深める必要性を感じた。
最近知ったことだが、本田勝一さんの著書に『殺す側の論理』『殺される側の論理』というものがある。「殺す側の論理」というものを追求していくと、戦争の本質的な部分にたどり着くのではないだろうか。と同時に、「殺される側の論理」という言葉を知ってから、戦争映画で決まって出てくる、たとえば「ノルマンディー上陸作戦」といった有名な戦闘シーンには、「殺される側の論理」というか「殺される側からの視点」が欠落していることに気がついた。
たとえば「ノルマンディー上陸作戦」は、一つの成功物語として語られることが多い。しかし、「殺される側からの視点」に立てば、「ノルマンディーの虐殺」となっても不思議ではなかったのだ。日本軍による南京虐殺も、「殺す側の論理」という視点に立てば、南京攻略という手柄話で、実際そうした新聞報道であった。こうして考えていくと、『殺す側の論理』『殺される側の論理』というものの重要性が浮き彫りになってくる。じっくりと学んでみたい。
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