しかし、書き抜きしてあった内容は、今読んでも興味ある内容で、これからでも再読してみたい。ノートの初めに「哲学の目標は、思考と概念によって真理を捉えること。哲学史の対象は哲学そのもの」と書いてあり、理性についての解説がメモしてあった。
人間が理性的存在である。とは言え、その場合の理性は、素質として潜在状態で持っているだけである。つまり、「やがては理性をもてるという可能性に過ぎず、・・・理性は実在していない。理性的な意識も持っていない。自分の潜在能力が自分に顕在化したとき、つまり、人間がおのれの理性を自覚したとき、初めて人間は現実的な面をもつようになり、現実に理性的な存在となり、理性に向き合うことになります」(p26)
このところを読み直し、カントが「啓蒙とは何か」で言っていることと同じようなことであることに気づいた。カントは、「他人の指示を仰がなければ自分の理性を使うことができない」、いわゆる指示待ち人間を、未成年の状態と規定し、その状態から抜け出ることを啓蒙と定義している。つまり、啓蒙によって未成年の状態から抜け出るとき、素質として潜在状態で持っていた理性を自覚したことになる。人間は、啓蒙によって現実に理性的な存在となるのだ。納得である。
0 件のコメント:
コメントを投稿