2021年3月18日木曜日

共生という思想

 だいぶ前に、毎日、ちょっとしたことを書いていた時期があった。今読み返してみると、当時の歴史も反映されていて、書き直すわけにはいかないことが分かり、日付を入れてそのまま、紹介することにした。 

 宮崎県の口蹄疫問題が一段落したと思ったら、最近は、院内感染の拡大がニュースになっている。「多剤耐性菌の広がり」が、今日の新聞のトップ記事になったほどである。学会の調査では、病院の6割で患者さんから緑膿菌を検出した経験があるという。そうした現状に対して、その予防としての「手洗い」の重要性が叫ばれている。今日の「天声人語」でも「要は予防だが、医療従事者は手洗いが大切だそうだ。これは暮らしの中でも、もっと広まらないだろうか。素朴ながら効果は大きい」と書いている。
 しかし、手洗いによる予防だけでは、多剤耐性菌に対する根本的な対策にはならない。耐性菌の進化と新薬開発のいたちごっこが延々と続いていることは自明なことだからである。この辺で、「新薬で耐性菌をやっつけることよりも、耐性菌と人間や動物が共生する道」を真剣に考えるべきではないだろうか。
 この共生というのは、細菌と人間だけでなく、「人間と人間との関係、あるいは、国と国との関係」においても求められている。「悪人は駆逐すべき存在で、民族間の紛争は戦争でなければ解決できない」ということでは、耐性菌と人間との関係のように、いたちごっこが延々と続くだけで、真の解決には程遠くなってしまうからである。
 共生という思想は、日本における多神教に関係し、排他的思想は一神教と関係するという考えがある。その意味では、萬(よろず)の神を信じてきた日本こそが、平和的な手段で世界平和を目指す先頭に立てる国である。だからこそ、平和憲法が日本に生まれたのかもしれない。
 とここで、古代ギリシャの宗教についても興味を持った。古代ギリシャは、科学だけでなく、民主社会の発祥の地でもあった。その過程で宗教が大いに関わったと思ったからである。つまり、古代ギリシャの宗教は、一神教ではなかったのではないか、だから、民主社会を形成することができた、と。2010年09月08日水曜日

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