買っておいて、積読の本『縮図・インコ道理教』(大西巨人著、太田出版)があった。なんで買ったかさえ忘れていた。読んで驚いた。日本国憲法第二章完全削除の憲法改正が主張され、次善の課題として、現憲法の擁護を挙げてあったのだ。
彼自身が宣戦布告をした無法悲惨な戦争の責任からはもとより、将来にかけて一切の責任から解除された一存在、それにしても日本の国民ではない奇怪な一存在、一個の責任無能力者が、「日本国の象徴」、「日本国民統合の象徴」となっている。それが立憲君主制、ブルジョア君主制あるいは制限君主制のどれであるにしても、なにしろ、日本は、まだあわれな君主制の国である。
しかも、国民の間に、この「象徴」という奇怪な(まともな人間には、とても合点が行かないはずの)存在にたいする疑問なり共和制への希求なりが、必ずしも十分に広く強く内感的に生きて動いてはいない。
(中略)
こういう現実の中で、岸〔信介。当時の首相」たちは、日本再軍国化の仕上げのために、主として「第二章 戦争の放棄」の抹殺および「第一章 天皇」の強化を目的とする憲法改悪を目論んでいる。
これにたいして、〈憲法は、必ず改定されるべきである。しかし、それは、まず第一に、第一章全八箇条の全的廃止、人民共和制の確立・その明文化でなければならない。そのように改定せよと迫って、逆に岸たちをたじろがせ、彼らをせめて現行憲法の守護にしがみつかせるほどには、国民の進取的勢力は、強力ではなく、その民主的意識は、研ぎ澄まされてはいない。
それどころか、一つ間違えば、一つ油断すれば、憲法改悪勢力に押し切られる公算も、決して小さくないであろう。二十九年前、私が、右引用の最後に書いたような状況の危険は、二十九年後の今日、残念ながら、ますます顕著になりました。「憲法改定(改正)論者」の私も、現「日本国憲法」の擁護こそが、われわれ進取的・民主的人間の、力を尽くして遂げるべき次善の課題である、と考えて信じます。(p40〜41)
なぜか?
「第三章 国民の権利及び義務」の諸箇条は、とりわけ「国民の権利」に関する諸箇条は、 —— 総体的にそれとして立派な・尊重されるべき準則です。だが、それは、第一章の人間侮蔑的・人権無視的な全八箇条によって、あれこれ現実的に制約されています。
第一章全八箇条は、たとえば第十四条の「すべて国民は、法の下に平等であって、人種信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」という準則に、まっこうから抵触します。それゆえ、私は、「日本の国民ではない奇怪な一存在、一個の責任無能力者」とせめて書いたのでした。
人権の十全な保障および伸長は、第一章全八箇条の全的廃止ならびに第二章全一箇条の完全実施によってこそ、達成し得られるにちがいありませんが、現行憲法の正当な解釈ならびに運用が行なわれる限り、人権のかなり満足な保障および伸長が、あり得るはずです。(p42,強調は引用者による )
どう考えても「自衛隊が戦力」であるように、「天皇といえども人間」である。人間には、生まれながらに持っている人権がある。その人権が保障されていない天皇は、人間でないことになる。それゆえに、「現行憲法の正当な解釈ならびに運用が行なわれる限り、人権のかなり満足な保障および伸長が、あり得る」けれども、やがては、天皇という「縛り」を解き放し、等しく人権が行き渡るようにすべきである。
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