美濃部達吉の思想がどういうものだったのか、全く知らなかった。家永三郎さんの美濃部達吉に関する著書に触発されて、1927年に刊行されたという『逐条憲法精義(抄)』を読み始めた。そして、初めから、その内容に驚いてしまった。まずは、驚いた文章を列記してみる。「著者のみるところによれば、従来日本に行なわれている憲法学説のはなはだ満足し難いものが多いのは、主として左の三の点にその原因をもっている」と書いて、「その原因」について述べたものである。
1、もしわが国体をもって、絶大無限の権力が君主に存することを主義(神授君権説)とするものと解するならば、誤りこれよりはなはだしきはない。
2、国体の観念は、わが帝国が開国以来万世一系の皇統を上に戴いていることの歴史的事実と、わが国民が皇室に対して世界に比類なき崇敬志順の感情を有することの倫理的事実とを示す観念であって、現在の憲法的制度を示すものではない。
3、殊に君主の大権は常に官僚の輔翼によって行なわるるのであるから、国体を理由とする君権説の主張は、その結果においては、常に官僚的専制政治の主張に帰するもので、これがわが従来の憲法学説に累せる最も大なる原因である。
4、立憲政治の精神についての理解の足らぬことである。立憲政治をもって三権分立の政治であるとすることは、かつて十八世紀末に行なわれた思想であるが、わが憲法の解釈において今もなおかくのごとき思想をもって基礎と為し、立憲政治が主として民衆的政治であり、責任政治であり、法治政治であることの本質を否定する説が、広く行なわれている。この欠陥は国体観念についての誤解と相待ちて、わが憲法の解釈をしてますます立憲政治の本義から遠からしむるの結果を来たしている。
5、わが憲法が種々の点において日本に独特なる制度をとっていることを承認する者であるが、なお大体において西洋の諸国に共通する立憲主義を採用しているものなることを確信し、憲法の解釈においても必ずこの主義を基礎としなければならぬことを主張するものである。著者の見解が多くの点において世に流布せる従来の見解と異なるものがあるのは、ここにその第二の原因を有する。(『現代日本思想体系・3・民主主義』、家永三郎編集解説、1965年、p274〜275)
立憲主義について「立憲政治が主として民衆的政治であり、責任政治であり、法治政治である」と、その本質を捉えていたことに、ただただ驚いた。そして、今だに、この本質的な立憲政治が実現されていないことに。
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