終戦後ニ年ニカ月余、われわれ国民のたどり来たった道は、必ずしも悲惨と暗黒とのみではない。それを通して、偉大な黎明がわが民族の上に、明けそめつつあるのを認めねばならぬ。個々人は戦禍と窮乏のなかから、かれらの新たな生を求めて、所在に起ち上り、社会はあらゆる分野において、旧い因襲と桎梏から解放されて、新たな動向を目ざして、巨大な運動を捲き起しつつある。
その間、敗戦の汚辱と痛手を一身に負うた国家も、その旧い形骸を脱して、廃墟のなかから、いまや新たな建設への全貌を明らかにするに至った。今回、憲法改正の事業は実にそれにほかならない。それは旧憲法の区々たる個々の法案の改正ではなく、ほとんどその全変革 ―― わが国の歴史的な新憲法の制定と称していい。
かくのごときは、ポツダム宣言の受諾という敗戦の運命が、われわれに命じた課題であったと同時に、わが国が自己みずからの清算と再生とのために、成しとげねばならぬ使命であったのである。それは民族の痛苦なくして行われたわけではない。今われわれにそのすべては明らかではないが、歴史が後に明白にするであろう。われわれは、いま悲痛のなかから、その生誕を祝し、そこに生れいでた新日本国家の理想と性格を見極めることにより、われわれ個人並びに社会の生活と運動に、新たな指標を見出さなければならない。
第一に、そと世界に対し、戦争放棄と平和国家理想の宣言である。世界いずれの国においてか、武力の絶対廃棄と戦争の徹底的否認とを、国家理想として宣した国はかつてあったであろうか。国民の自衛のための兵備と交戦権すらも放棄せられてある。そこに将来、独立国としてのわが国家存在の不安が指摘せられ、また世にこれを一個のユートピアとして批評する者があるのも、決して理由なきことではない。
だが、かくのごときは、その精神において、実にわが国有史以来の敗戦により払った犠牲の血の教訓である。今次の大戦において日本が学びえたものは、実に「剣をとって起つ者は剣によって滅びる」ということである。いまやわれわれは過去の軍国主義と極端な国家主義の信条を完全に払拭しなければならない。それは、今次わが不法の戦争において犯した過誤と害悪に対する国民的贖罪たるのみならず、進んで諸国民と協力して、世界恒久平和という人類永遠の理想実現へのわが民族の積極的努力に対する決意の表白である。
第二に、かような高い世界理想に伴うところの、わが国家組織そのものの民主的根本変革を挙げなければならない。国内に自由と平和の支配する民主主義の確立なくして、国際的民主主義を意味する諸国家協同の世界平和は、どうして実現しえられようぞ。新憲法の根本特色は、その全体にわたって、実に民主主義精神の拡大強化にある。それこそ新日本国家の基本的性格であり、「民主日本」は「平和日本」の名とともに、いまや彼女の新しい性格の表現である。
われわれを支配する政治の権力は、もはや少数指導者や一部階級にあるのでなく、全体の国民 ―― あまねく民衆の手に移ったのである。このことは、およそ政治的権威は国民に由来し、国民こそ真の主権者であることの、人類普遍の政治原理への、国民の新しき自覚に基づくのである。そして、その権力は国民の代表者である国会がこれを行使するのであって、国会は国家の最高機関であり、内閣は国会に対して全責任を負わなければならない。
第三に、かような民主主義国家の内部において、人間個人の完全な自由が確保されてある。民主主義の成果は、国民のひとりびとりが等しく人間として、生命・自由および幸福追求に対する完全な権利を享受することなくして、到底期待しえられるものでない。国際の戦争の廃棄も、国民ひとりびとりの人間的価値と尊厳を認めてこそ、初めて可能であるであろう。
新憲法が旧憲法に比し徹底して、国民の基本的人権を侵すべからざる永久の権利として保障したことは、ここに力説されなければならない。それは実に「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、過去幾多の試練に堪えたものであり」、今後「わが国民の不断の努力によって、保持しなければならぬ」ところのものである。
われわれは新憲法に掲げた理想をどこまでも堅持し、民族の浄化と自己完成を目ざして、歴史の永遠の流れのなかに、断えざる進歩をつづけねばならない。
武力の戦いは、われらを永久に去った。これよりは主義と理想と性格の戦いである。われわれは、この新たな平和の戦いにおいて、光栄ある勝利を獲得し、われわれの祖国再建の偉業を成就せずば已まぬであろう。(「新憲法発布」『南原繁の言葉』p280~290からの要約)
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