むずかしかった。ドイツ文の構造は、むずかしかったが、とにかく訳を参照にして、なんとか、じぶんなりに理解した。しかし、内容となる、そうかんたんにはいかない。まだわからないこと、なっとくのいかぬことは、ずいしょにあった。
しかし、一ページ、一ページとすすんでいくにつれ、なにか、力強く、わたしの心にせまってくるものがあった。カントは、若いわたしに、こんなふうにうったえてきた。
理解力・機智・判断力などの精神的才能は、なるほど望ましいものである。勇気・果断・堅忍不抜などの気質の性は、なるほど善いものである。また、権力・冨・名誉はもとより、健康、身心の安泰、みちたりた境遇など、そうじて幸福とよばれるものも、善いものであり、望ましいものである。しかし、それらを、無条件に善いものというわけにはいかない。それらを、人間にとって、いちばんの価値がある、望ましいものとみなすわけにはいかない。人間にとっていちばん価値があり、人間に人間らしい尊さを与えるものは、善き意思である、善意思こそこの世界ではもとより、世界のそとにおいても、無条件絶対に善とみなされうる、ただひとつのものである。それゆえ、もし、われわれの意志が善でなかったら、さきにあげたせっかくの才能や性質も、きわめて悪い有害なものとなりかねない。知恵があり、勇気があり、冷静である悪漢ほど、おそろしくて憎むべきものはないではないか。権力・富・名誉などといった幸福にめぐまれた人が、もし善意志を欠くならば、どういうことになるであろうか。かれは、得意になり、ときには思いあがって世に害悪をおよぼすであろう。わたしたちは、純な善意志のおもかげをつゆ持たぬ人が、この世に栄えていくのをみて義憤を感じないであろうか。あさましい人間として、その人を蔑視するではないか。まさに善意志こそ、いっさいをこえて光りかがやく尊厳であり、人間を人間たらしめる本質である。人格を崇高なものとする根源である、と。(『カント・人と思想・15』、小牧治著、清水書院、1967年、p12~13、原文の傍点部分に下線を引いてある)
カントの『グルントレーグンク』は、人間の尊厳や崇高さが、善意志のなかにあることを、くりかえし教えてくれた。力強く、わが心にうったえてくれた。暗かった青年の心に、光りが、さしこんできたようだった。哲人の書を読破しえた喜びは、同時にまた、行手になにか希望を見つけだした喜びでもあった。(p13)
0 件のコメント:
コメントを投稿