2020年4月3日金曜日

アパルトヘイトは法律の暴力だった

 ネルソン・マンデラの伝記を読んで、白人による黒人差別の酷さを知った。そして、根強い黒人やアジア人への差別思想が安保条約や日米地位協定に深く貫かれているのではないか、という疑問を持った。いくつかに実例を引用してみる。

 黒人たちは、都市周辺に設けられた、せまい「黒人居住区」に住むことを強制されていた。小さな家がひしめき合い、電気も下水道もない、不衛生で不便な場所だった。p46
【黒人居住区】南アフリカでは、人種によって住む地域が決められていた。黒人居住区は、黒人が住むことを強制されていた居住区。これまで住んでいた土地から追い出され、せまく整備されていない土地におしこめられていた。(『世界を切り開いた世界の10人・3・ネルソン・マンデラ』、学研教育出版、2015年、p46)

 街にはバスだけではなく、列車や公園のベンチ、公衆トイレ、病院など公共施設や設備は「白人専用」、「黒人専用」と分けられていた。まちかえで白人専用のベンチに座ると、警察にたいほされることもあった。
【原住民パス】16歳以上の黒人が、つねに持つことを義務づけられた身分証明書(パス)。小冊子のような形で、持ち主の住所や、その地域の首長の名前、税金の納付状況などがくわしく記され、黒人からは反感を持たれていた。(同、p51)

 国民党はすぐに動き出した!白人以外を差別するアパルトヘイト政策が次々に実行されていったのだ。
 まず、白人の下にアジア人や黒人がいる、とはっきりと法律で等級分けした。もっともおとるのは黒人と定めたのだ。黒人は政府が決めた地域に住むことを強制され、豊かな土地が次々に白人にうばわれた。白人の地域を通るだけでも通行証が必要になった。学校や病院などの公共施設も、人種のちがいによって分けられた。
 これらはこれまで日常的に行われていたが、それらすべてが、こと細かく、強制力を持つ法律として決められたのである。それはまさに、法律の暴力だった。前政権の連合党の白人政治家ですら、アパルトヘイトを「冷酷で危険な政策」と呼んだほどだった(同、 p61~62)。
(注)一九四八年に政権についた

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