2020年4月14日火曜日

理性もとづいて行動し、実践すること

 今は、日本国憲法の価値の危機である。憲法改正によって9条が改変されようとしているからである。現実にある自衛隊に、憲法の理想(理性というべきか!)が侵食されようとしている、といっても良い。だからこそ、カントのいう「絶対的な価値をもつ善意志」に注目し、「純粋に理性の声にしたがう」ことの意義と重要性を考えていきたい。
 だからと言って、カントのように、「自然の性(本能・衝動)」に従って生きることを「理性の声」にしたがうことの対立概念として否定するようなことはしたくない(はっきりと否定しているかどうか、深く読んでみないとわからないが)。「理性の声」にしたがうことも、「こうしたいからこうする」という生き方と必ずしも矛盾しないからだ。小牧さんも、「二面は、調和することができないものだろうか」(p16)と書いている。

 『ダルントレーダンク』によれば、絶対的な価値をもつ善意志、人間の尊厳の根源である善き意志とは、純粋に理性の声にしたがうことであった。逆にいえば、この世の幸福をもとめようとする人間の欲(本能・衝動)によって、意志が動かされたり、影響されてはならない、というのであった。幸福な生をいちばんだいじな目あてとするような生きかたは、カソトによれば、悪である。人間のなすべきこと(道徳的な善)は、幸福追求ではなくして、幸福をさずかるにふさわしいということである。幸福をうけるにふさわしいとは、幸福を追うことではなく、むしろ逆に、幸福を意にせず、ときには幸福を犠牲にしても、ひたすら純粋に、理性もとづいて行動し、実践することである。生きたいから生きる。好きだから愛する、いっぱんに、こうしたいからこうする、というのでは、自然の性(本能・衝動)のままに動いているにすぎず、動物とかわりはない。そんなことでは、人間の尊さや価値は、どこにも見いだされないであろう。問題は、生きたくない、死にたい、にもかかわらず、理性の命ずるところにしたがって、けつぜんと、義務感から生きぬこうとすることである。(『カント・人と思想・15』、小牧治著、清水書院、1967年、p14〜15、原文の傍点部分に下線を引いてある)

0 件のコメント:

コメントを投稿