我が邦は今や内外種々なる点において容易ならぬ難局に立っておる。満州の問題は如何、対支那の問題は如何、資本家対労働者の問題は如何、いわゆる高等游民の問題は如何、国民道徳の問題は如何。かくの如く数え来れば、一刻もその解決を猶予して居られない大問題難問題は、国民の四囲内外にほとんど身勤きも出来ないほど積っておる。そもそもこれを吾人は如何にすべきか。
曰く、ただ吾輩が前説せしが如き強力鋭利なる大智見の刀を以て、片端からこの乱麻を断って行くのみである。しかるに近来我が為政家は勿論、思想家、教育家、ないし一般国民のこれらの問題に対する態度を観るに、甲の問題が起れば蒼惶(そうこう)として甲に走り、乙の問題が起ればまた蒼惶として乙に走るというが如く、少しも我が根本的の立場から定めて、これに照して、総ての問題に徹底的解決を与うるということをしない。あたかも彼らのなせる処は、下手の碁打が一小局部にのみその注意を奪われて、全局に眼を配ることが出来ず、いたずらに奔命に疲れて、ついに時局を収拾すべからざるに至らしむるような者である。吾輩は切に我が国民に勧告する。卿らは宜しくまず哲学を持てよ、自己の立揚に対する徹底的智見を立てよ、而してこの徹底的の智見を以て一切の問題に対するの覚悟をせよと。即ち言を換えてこれをいうならば、哲学的日本を建設せよというのである。哲学は最も徹底的に自己を明らかにする者である。何をおいてもまず自己を考える。而してその明瞭にせられたる自己から出発して、新しき日本を建設する、これ実に我が邦目下の急務であると思う。(『石橋湛山評論集』、ワイド版岩波文庫、p27)
例えばこれを吾輩が前に挙げた外交家の例に取って見よ。彼らには日本の立場がわからないのである。日本の現在および将来の運命を決する第一義はどこにあるか。徹底した目安がついておらないのである。徹底した目安がない。ここにおいてか彼らはやむをえず、その時々の日和を見、その時々の他人の眼色を窺って、行動するよりほかに道はないのである。(同上、p26)
それでは、「日本の現在および将来の運命を決する第一義はどこにあるか」、それこそ、安保条約である。諸悪の根源は、安保条約なのである。湛山は、このことを教えてくれた。
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