『創造と自由』、アルベヱル・カミユ著、新潮社、1954年
『自由の証人』、アルベヱル・カミユ著、新潮社、1952年
『正義の人々(現代フランス戯曲叢書)』、アルベエル・カミュ著、新潮社、1953年
『正義の人々(現代フランス戯曲叢書)』、アルベエル・カミュ著、新潮社、1953年
小学生で活字中毒になった私は、中学、高校でも手当たり次第に読書したが、一九五七年の京大入学から卒業までの四年問は、その後の人生観を決める本たちに出会った。
マルクス主義や実存主義が全盛の時代だった。紆余曲折の末カミユに行き着いた私は、文学部の学生を誘って「実存主義研究会」を作った。数人の仲間が理学部近くの喫茶店・進々堂に集い、その週の本について議論する。実存哲学の先駆者キルケゴールやニーチエに始まり、サルトル、ボーボワール、カミュなど、入手できるものはほぼ挑戦した。半年ばかり経たところで、実存哲学のみでは行動の方向が見えない、やはりマルクス主義を勉強すべきだという意見が出された。実存主義とマルクス主義の総合を試みるサルトルの影響もあった。
私自身は、サルトルの哲学やマルクス主義には女性の視点が欠けていると思った。カミユには終始傾倒した。『シーシユポスの神話』などで人間存在の不条理を肯定しつつ、なお誠実に生きる姿に共感した。五七年、カミユは「鋭い真摯さをもって、人間の意識に投げかけられる諸問題に光をあてた」としてノーベル文学賞を授与されたが、六〇年に四十六歳で交通事故死し、失意の私は自分で作った会を抜けた。
思えば旧約聖書も「男の肋骨で女が造られ」に始まり「女は男を慕い、男は女を治める」と続く。哲学や思想や宗教の底流に女性差別が根強くある。どうやら女には住み辛い世の中らしいと気づいたが、決定的に実感したのは就職活動の時たった。物理学は科の掲示板に貼られた求人票にはいずれも「男子のみ」の非情な一行が。(『いつもそばに本が』、米沢富美子著、p208)
二十世紀、戦争による死者の数は一億人以上ともいわれる。日本中の人間が全部消えたのに相当する。二十一世紀こそは、人間の叡智が平和的解決を工夫すると期待したが、いきなり武力による報復の連鎖が始まった。
空爆の映像は心が凍る。幼い頃の私のように、あの空の下を逃げる子供たちがいる。家に閉じ込められた女性たちがいる。タリバンが来る前、カブールの大学では約半数が女子学生だったという。医師になって皆を助けたいと目を輝かせていた女性たち。テロは議論の余地なく悪い。しかし何故こうなったかを、米国は一度でも考えたか。温暖化防止のための京都議定書からの離脱。国連への拠出金を滞納しながら対テロのお墨付きを取る時には国連を引き合いに出す。大国のエゴが貧困の国にどう映るか。
こんな時は本が懐かしい。読書の喜びは、連い国や遥かな昔に患いを馳せ、異なる価値観で暮らす人たちを同じ人間として慈しめることだ。(『いつもそばに本が』、米沢富美子著、p210)
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