書くといっても、改まって文章を書かなくても、読書しながら本に感想を書き込みをしたり、メモ帳にメモしたりすることでもいいことに気がついた。要は、読書の際に、著者と対話するように読書すればいいのかもしれない。デカルトも「すべての良書を読むことは、著者である過去の世紀の一流の人びとと親しく語り合うようなもの」(デカルト『方法序説』谷川多佳子訳、岩波文庫)と書いている。
「読む」と「書く」はまさに、呼吸のような関係にある。「読む」は言葉を吸うこと、そして「書く」は吐くことに似ている。「読む」あるいは「書く」という営みは、世に言われているよりもずっと身体を使う。「あたま」だけでなく、心身の両面を含んだ「からだ」の仕事なのである。
さらにいえば、深く読むために多く本を読んでもあまりうまくいかない。それでは吸ってばかりいることになる。
書くことにおいても同じで、深く書きたいと思って、多く書いてもあまり功を奏さない。深く「読む」ためには深く「書く」必要がある。
「読む」を鍛錬するのは「書く」で、「書く」を鍛えるのは「読む」なのである。「読む」と「書く」を有機的につなぐことができれば言葉の経験はまったく変わる。それを実現する、もっとも簡単な行為は、心動かされた文章を書き写すことなのであ
本に線を引くだけでなく、その一節をノートなどに書き記す。じつに素朴な行為だが手応えは驚くほど確かだ。105
「十読は一写に如かず」ということわざもある。一度書き写す、それは十回の読書に勝る経験によい のである。(『読書のちから』、若松英輔著、亜紀書房、2020年)
0 件のコメント:
コメントを投稿