2021年2月14日日曜日

マルクスによるカントの評価は?

 いや、また、すごい地震だった。10年目でこんな地震がくるなんて、予想もしなかった。地中に眠っていたゴジラがちょっと寝帰りした感じで、目が覚めないことを祈るだけだ。映画のゴジラを見ているので、そんなことを想像してしまった。
 朝起きてみたら、実害はなかったものの、本棚最上段の本が二十冊ほど散乱して落ちていた。その中に、一部取っておいた『マルクス・エンゲルス全集』があって、片付けながら、気になるところをパラパラ読んで、思わぬ発見をした。
 一つは、46ページくらいの、「『資本論1巻』要綱」『マルクス・エンゲルス全集16巻』を見つけたこと、これくらいなら読めそうなので、と読む気になった。『人新世の「資本論」』が話題になってもいるので、ちょうど良い機会かもしれない。
 もう一つは、1857年7月〜1860年11月頃、「プロレタリア運動と民主主義運動の復活が始まったときに書かれた」(『マルクス・エンゲルス全集14巻』、pⅪ)一連の論文に「砲兵」「焼夷弾」「歩兵」と言った論文もあって、それらを読んでも、戦術的な観点で書かれているだけで、歩兵のからの観点、焼夷弾を落とされる側からの観点が抜けているのが気になった。例えば「歩兵」では、「歴史上の最も重要な戦術的な特徴だけに限る」(エンゲルス著、p316)だけで、「兵士は、・・・他者(国家)が自由に使うことのできる機械や道具として人間を使用するということ」(『永遠平和のために』、カント著、光文社古典新訳文庫、p153)といったカントの視点が抜けていた。
 『永遠平和のために』が出版されたのは1795年である。マルクスも、エンゲルスも、こうしたカントの業績は知っていたはずなのに、どうして、カントの人間的な業績を取り入れられなかったか、わからない。 

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