2019年12月30日月曜日

真実(理想)は、やがて現実になる


 日本国憲法第九条を変えたいという人たちの理由の一つが、「第九条の条文は現実に合わなくなったから」である。こうした主張は、「みんなと同じように太ってきたから、そういう現実に合わせ、服を新調すべきだ」という主張となんら変わらない。問題なのは、痩せれば済むという現実を変える視点には見向きもしないことである。
 奴隷制度も、男女差別も、初めは思想と現実は大きくかけ離れていたことは明らかだ。真実に近い理想を掲げ続けたからこそ、現実が少しずつ理想に近づいてきたのである。だからこそ、湯川秀樹さんの「真実はやがて現実となる」という言葉の重みが伝わってくる。
 理想と真実は違う、と言われるかもしれない。しかし、憲法で言われている「普遍的原理」とか、国際社会の「普遍的な理念」といったものを「科学的な真実」と区別された「社会的な真実」と言っても良いのではないかと考えている。湯川氏の文章を見ると、「現実はその根底において、常に簡単な法則に従って動いている」のだから、区別する必要はないとも思えてくる。だからここでは、「真実に近い理想」としておく。

「現実は痛切である。あらゆる甘さが排斥される。現実は予想できぬ豹変をする。あらゆる平衡は早晩打破せられる。現実は複雑である。あらゆる早合点は禁物である。
 それにもかかわらず、現実はその根底において、常に簡単な法則に従って動いているのである。達人のみがそれを洞察する。
 それにもかかわらず、現実はその根底において、常に調和している。詩人のみがこれを発見する。
 達人は少ない。詩人も少ない。我々凡人はどうしても現実にとらわれ過ぎる傾向がある。そして現実のように豹変表現し、現実のように複雑になり、現実のように不安になる。そして現実の背後に、より広大な真実の世界が横たわっていることに気づかないのである。
 現実のほかにどこに真実があるかと問うことなかれ、真実はやがて現実となるのである(昭和一六年一月)」(『目に見えないもの』、講談社学術文庫、1976年、p117)。

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